道路交通法の改正と歴史 その4
1949年(昭和24年)
日本の戦後行政が始まっていきます。
1949年(昭和24年)、「道路交通取締令」を一部改正。
運転免許の種類を10種類とし、免許証の交付を受けたときから2年ごとに更新することとしました。視力等の身体検査を行うことになりました。
「やっと戦争が終わった!」「明るい時代になった!」と、日本国民が思う一方で、北大西洋条約機構(NATO)が成立します。
世界ではアメリカとソ連の冷戦がはじまっています。
国内の世相としては、
7月5日、下山定則・国鉄総裁が行方不明となり翌日轢死体で発見(下山事件)。
7月15日、中央線三鷹駅構内で無人列車が暴走(三鷹事件)。
8月17日、東北本線の金谷川-松川間で列車転覆(松川事件)。
と、昭和の怪事件が立て続けに起こります。
まだまだ、いろいろなものが暗躍していた時代です。
1950年(昭和25年)
1950年(昭和25年)6月25日、朝鮮戦争が勃発します。
朝鮮半島から日本が追い出されたあと、アメリカとソ連がつば競り合いをしていましたが、ここへきて戦争となりました。
日本は隣国の戦争を横目にしながら、「朝鮮戦争特需」で経済が盛り上がっていきます。
また、大陸から帰ってきた帰還兵と、平和が訪れた安心感で人口が爆発的に増加します。
1947年から1949年にかけて生まれた世代、いわゆる「団塊の世代」です。
人口ボーナス期、つまり「高度成長」の準備段階に入っていきます。
実際の「高度成長期」は、ここらで生まれた世代が、実際に労働力となったり購買力となる1960年代になります。
1951年(昭和26年)
1951年(昭和26年)1月3日、ラジオで第一回NHK紅白歌合戦を放送します。 昔は大晦日ではありませんでした。
9月には、日米安全保障条約調印。
日本が正式にアメリカチームに加わり、アメリカにいろいろな物を買ってもらえるようになります。 何しろアメリカは世界一のお金持ち。世界中のGDPの半分をアメリカが占めていました。
まさにアメリカ様様です。が、この時は、まさかアメリカの自動車が日本の自動車に駆逐される日が来るとは、夢にも思わなかったでしょうね。
1952年(昭和27年)
1952年(昭和27年)7月、「道路交通取締令」を一部改正。
原動機付自転車の免許を新設。 免許の有効期間は3年(自動車は2年)としました。
この頃は汎用エンジンを自転車に付けた、文字通りの原付(モペット)が主流でした。
この頃のバイクメーカーといっても、町工場や店先でエンジンを付けた自転車を走らせるようなメーカー。
トーハツ、フジ、アサヒ、ポインター、トヨモーター、クインロケット、ハヤブサ、ライラック、メグロ、昌和、陸王などなど、戦後のこの時期には、約300ものオートバイメーカーがあったと言われています。
イギリス、イタリア、ドイツはそれぞれ500~600社、アメリカも300~400社あったと言われていますから、特別多い、というわけではありませんね。
免許は都道府県公安委員会が支障がないと認めた者については、試験の全部又は一部の免除ができるようにしました。
これまでは軽二輪免許が必要だったのですが、届出(審査)式による許可制として創設。要するに申請すれば誰でも4st:90cc、2st:60ccまで乗れました。
そしてその原付の一つ上にある軽免許ですが、これは車の免許。
4st:360ccまでの軽自動車を運転できる免許を取得すると、4st:250cc、2st:150ccまでのバイクにも乗れたんです。
申請だけでいい原付、車の免許で250バイク、今では考えられない制度です。
1954年(昭和29年)
1954年(昭和29年)、「道路交通取締法施行令」を一部改正。
自動車、バイクを排気量によって区分けします。翌年の「国民車構想」としてつながる、小排気量の規格を設けます。2スト、4ストともに360cc以下を軽自動車として区分します。
また、原付自転車の運転許可を第一種(50cc以下)と第二種(125cc以下)としました。
同年6月、改正警察法を公布。国家地方警察と自治体警察を都道府県警察に一元化。また、自衛隊法が公布され、自衛隊発足。
1956年(昭和31年)
1956年(昭和31年)、「道路交通取締法施行令」を一部改正。運転免許を第一種免許と第二種免許に区分。 大型免許を新たに設けました。
この年の経済白書には「もはや戦後ではない」と書かれ、流行語となりました。
同年、首都高1号線中央区宝町~港区海岸4.5kmの供用開始します。
1958年(昭和33年)
1958年(昭和33年)、衆院地方行政委員会が「交通事故防止に関する決議」。
交通量がどんどん増えていきます。
車やバイクの増加に比例して、交通事故も増えていきます。
ホンダが名車「スパーカブ」を発売。累計1億台を生産、販売。現在に続く爆発的なヒット商品となります。
世相では、「カミナリ族」と呼ばれた、オートバイを改造して爆音を鳴らして走行する若者が増加。よって、オートバイの事故が多発しました。