道路交通法の改正と歴史 7
バブル経済の後遺症なのか、日本経済はピークを過ぎ、「失われた〇年」と言われる長い低迷期へ入ります。
交通事故件数、1970年代初頭に最初のピーク。
オイルショックで一時低迷するもまた徐々に増え、この頃に1970年を再度抜きます。
2004年が交通事故件数のピークとなり、それ以降はシートベルトの徹底、エアバッグなど安全装置の強化、もろもろの違反への厳罰化など相まって、交通事故は減り続けています。
しかし何よりも、いちばんの原因は、自動車を運転する年齢層の人口減、経済の長期低迷による車離れでしょう。
2019年現在では、2004年のピークと比べて半分以下となっています。 1997年(平成9年)、高齢運転者のため「紅葉マーク」が定められます。
1999年(平成11年)
1999年(平成11年)、運転中の携帯電話の使用が禁止されます。この頃はまだ、弁当箱のような大きな車載電話でした。
2000年(平成12年)
2000年(平成12年) 6歳未満の幼児はチャイルドシートの使用が義務化される。 機械の性能アップで、それまで80キロだった軽自動車、オートバイの高速道路の法定速度が100キロに変更されます。
2002年(平成14年)
2002年(平成14年)、度重なる酒酔い運転での事故を受け、酒酔い運転、酒気帯び運転、死亡事故など悪質で危険な違反は、罰則が強化されます。
ほかにも、
免許証の有効期間の原則が、3年から5年へ変更。
高齢者講習と紅葉マークの年齢が、75歳から70歳へ変更。
身体障害者標識(四葉マーク)が定められる。
自動車運転代行業者の義務を規定化 などが改正されます。
2004年(平成16年)
2004年(平成16年)、走行中の携帯電話等の使用の罰則強化。携帯電話が小型化し、一般化してきました。
騒音運転、消音器(マフラー)不備車両などの罰則強化。 若者の間では、キムタクがドラマ「ビューティフルライフ」で乗った、ヤマハTW200のカスタム車両が大人気に。 中には粗悪な改造で迷惑をかけるバイクが多かった、ということです。(ちなみにわたしはこの頃のTWを直し直し、いまだに乗っています。。)
酒気帯び検査拒否の罰則強化。 暴走族などによる共同危険行為の摘発の簡素化。 国民保護法において定められた武力攻撃事態等における交通規制の規定。2001年にアメリカで起きた同時多発テロ(9.11)から、世界中がテロに脅えるようになりました。
2005年(平成17年)
2005年(平成17年) 自動二輪車の高速道路での2人乗り解禁(運転者に条件あり)。 大型自動二輪車免許及び普通自動二輪車免許(小型限定含む)に、既定のコースとしての「AT車限定」導入。
自動車で普及していたオートマ限定を二輪にも創設します。世間はバイクのカスタム車両から、ビッグスクーターブームへ移ります。 しかしながら結局オートバイは嗜好性が強く、オートマ限定を取る人は全体の1%以下。 しかも大型でも~650ccまでという排気量制限が課せられています。 これは当時650cc(スカイウェイブ650)以上のオートマバイクが存在しなかったからと言われています。 一方で小型は実用性が強く、スクーターが多い事から約70%もの人がオートマ限定を取得しているそうです。
2006年(平成18年)
2006年(平成18年)、駐車違反取締りを民間委託・放置違反金制度の導入。駐車監視員が駐車違反の取締りを行うようになりました。
また、違反金の納付は運転者が支払いを拒否した場合、車の所有者が支払わなければならなくなりました。