道路交通法の改正と歴史 その3
3回目にして、時代はようやく昭和に入ります。
ですが、昭和に入ると時代は徐々に戦争に向かっていきます。なので、あまり国内の道路行政にかまっている暇なし。
歴史をざっくり進んでいきます。
1931年(昭和6年)
1931年(昭和6年)に中国・奉天(現在の瀋陽(しんよう)市)郊外の柳条湖付近にある南満洲鉄道の線路上で「柳条湖事件」が発生。
これが契機となり、「満州事変」が勃発。 戦時の軍需品供給を優先する「応急総動員計画」へ移行することになり、国中のものが軍事優先となっていきます。
今の北朝鮮みたいです。
1932年(昭和10年)、満州国設立。
1936年(昭和11年)
1936年(昭和11年)、「自動車取締令」を一部改正。運転免許の有効期間を撤廃。新たに5年ごとに免許証の検査をすることにします。
この年、トヨタが初の乗用車を発売しています。 この頃は庶民が乗る自家用車は無く、もっぱら上流階級の乗るタクシー、ハイヤー。 排気量は3400ccもあり、エンジンはそのままトラックと共有でした。 ちなみに価格は3685円。公務員の初任給は75円の時代です。今なら1000万円くらいでしょうか。
1937年(昭和12年)「盧溝橋事件」から日中戦争が勃発。
1938年(昭和13年)国家総動員法が施行されることになります。 いよいよ日本国中の一切合切を戦争のために使え、ということです。民間の乗用車を開発なんかしている場合ではありません。
1941年(昭和16年)12月8日のアメリカ・真珠湾攻撃。太平洋戦争が始まってしまいました。
1943年(昭和18年)学徒出陣。兵力を補うため、兵隊を免除されていた学生も戦地に出されます。 1944年(昭和19年)には、はじめは20歳以上だった徴兵年齢も17歳からに。上の年齢も上がって、40歳から45歳へとなります。 労働力が不足するので、一般の自動車免許の取得年齢も下げます。
が、 1945年(昭和20年)8月15日、ラジオで天皇の玉音放送が流れ、日本は降伏。戦争は終わりました。
1946年(昭和21年)、日本国憲法が発布され、いろいろなものが新しくなっていきます。
1947年(昭和22年)
道路行政でも、 1947年(昭和22年)、「自動車取締令」を一部改正。免停処分者に対する講習の制度を設けました。
小型免許が一種~四種と4つに細分化し、取得可能年齢を満16歳に引き上げます。 ・小型三種(無制限)・小型四種(4st:~150cc、2st:~100cc) という、日本で初めてとなる二輪免許が誕生します。
特筆なのが、2スト、4ストで乗れるバイクの排気量が違います。
2スト、4ストというのは、2ストローク、4ストロークの略語。
エンジンの吸気・圧縮・爆発・排気の工程の違いですが、詳しく知りたい方はググってください。
現在は排ガス規制の関係で、2ストのエンジンはほとんどありません。
大きさや形状はそんなに変わらないので、 取り締まるほうは見た目でわかったのでしょうかね?
この改正以前に小型免許を取得していた人は三種が自動的に付帯となります。 さすがに免許の交付は、戦時中のように申請だけではなく試験があったものの、ほぼ口頭による面接試験だけだったようです。
地方ごとの生活状況の格差もあり、まだ全国統一の基準ではなかったようです。
1948年(昭和23年)、第1回NHKのど自慢が開催。 少しづつ復興しようとがんばっています。 12月には、はじめての全国交通安全週間」が設けられました。
そして本田宗一郎が、浜松で本多技研工業を設立しています。